【ポルトガル】大航海時代に思いを馳せる│リスボン・ベレン地区

これまでにヨーロッパを中心に、50か国を旅してきました。日本も含め、世界各国の美しい風景、歴史的建造物、観光名所はもちろん、旅先ならではの様々なエピソードを紹介します。

ずっと温めてきたポルトガルの旅へ出かけたのはかれこれ13年も前のこと。

ようやく踏み入れたその国は、自他ともに認める「雨女」の私に、さらに「伝説の雨女」の称号を与えるかの如く、見事な雨天で歓迎してくれました。(笑)

今回は「晴れ女」の友人との2人旅だったのにな。

ポルトガルへの道は遠かった

午前8時20分に中部国際空港セントレアを出発。

成田、ロンドンを経由してリスボンのホテルに到着したのは、現地時間22時でした。

日本とポルトガルとの時差が9時間あるので、日本時間にすれば翌朝の朝7時!

因みに空港へ向かうために自宅を出たのは朝5時半です。

ということは、自宅を出てリスボンのホテルに到着するまでに、実に24時間以上が経過していたことになります。

なんとも果てしない旅路でした。

やはり2度のトランジットはキツイですね。

ホテルに到着!

滞在したホテルルは OLISSIPPO ORIENTE というところで、リスボンの空港から地下鉄で3駅、南部都市への高速鉄道も発着する「オリエンテ駅」から徒歩10分の好立地。

駅前には大型ショッピングセンターもあって、とても便利でした。

が、このホテルのエレベーターに乗ったとき、そのパネルに刻まれた「Schindler」の文字に私たちは一瞬顔を見合わせて固まりました。

覚えていますか?

当時、日本でも「事故続きのシンドラー」として悪名を轟かせていましたよね。

まさかポルトガルまで来てシンドラー社の「恐怖のエレベーター」を利用することになろうとは。(笑)

6階に滞在していた私たち。

ホテルは4つ星の清潔で快適なホテルでしたが、ステレオタイプの日本人ふたり。

毎日このエレベーターに乗るたびに、なんともスリリングな感情を共有していたのでした。(笑)

もちろん、安全にもなんの問題はありませんでした!

念のため。

観光初日からいきなり雨!

ポルトガル到着から一夜明け、観光は首都リスボンからのスタートです。

先ほど私が「伝説の雨女」という話をしましたが、私たちが訪れたのが11月で、実はこの季節のポルトガルは雨期に入っていました。

降水量も日本の梅雨なみだと聞いていたので、ある程度の覚悟はしていたのですが、、、

初日からいきなりの雨。

ホテルを出るなり傘のお世話になるのは少々テンションが下がるものですが、まだ初日。

とりあえず元気満々、張り切って観光へ出発です!

が、しかし、、、

この日は雨降り以外にも、朝から踏んだり蹴ったり、とにかくハプニング続きの散々な一日になったのでした。

ベレン地区

リスボンの中心街から西へ6km ほどの場所に位置するベレン地区。

ここは15世紀初めに未知の海へと乗り出していったポルトガルの、輝かしい大航海時代を象徴するモニュメントがのこされています。

ベレン地区ヘはリスボン中心部にあるフィゲイラ広場というところから市電に乗って30分くらいで到着します。

はい、到着する予定、でした。

でしたが、途中で交通事故の後処理に遭遇し、なんと市電がその先通行不能。

仕方なく手前で市電をおりて歩くことになったのですが、これまた遠くてですね、、、しかも、歩き始めた途端にそれまで小休止状態だった雨がふたたび降り始めるというおまけつき。

雨女、健在。(笑)

そしてこのときの不幸はこれだけでは終わりません。

クタクタになりながらの観光の途中、何とカメラがストライキを起こして作動停止。

もう、イライラMax!

かつての日本のように、ちょっとお店を覗けば「写るんです(インスタントカメラ)」が売っているわけでもなく、とりあえずそこからはケータイのカメラに頼るしかありませんでした。

スマホじゃなくケータイ、だったと思います、まだ。

ケータイもカメラの性能にはこだわていたので、画質がまぁまぁ優れていたことは不幸中の幸いでしたが、、、なんとも無念極まりない。

念願のポルトガルへ24時間以上かけてやって来て、観光初日に雨に降られながらカメラもぶっ壊れるという、、、悲劇です。(笑)

その夜、ホテルで冷静にカメラの状況を確認したところ、カメラ本体ではなくSDカードの不具合だったようで、翌日からは予備のSDカードに入れ換えてカメラは復活。

ただし、SDカードがダメになっていたので、カメラが作動しなくなるまでに撮影していた写真はずべて消失。

雨の降り続く中、傘を片手に苦労しながらたくさん撮影していたのに … 。

ということで、この日、最初に訪れたベレン地区の自分で撮影した写真がありませんので、フリー素材から借りてきた写真で紹介します。

【世界遺産】ベレンの塔

目の前を流れるテージョ川を行き交う船を監視するための要塞として建設されたというベレンの塔。

のちに船の通関手続きを行う税関として使われたり、灯台として使われたりもしていたようです。

塔の内部には礼拝堂や、謁見の間、国王や司令官の間、砲台として使用されていたテラスなどがあります。

日本の著名な作家である司馬遼太郎さんは、この塔のことを「テージョの貴婦人」と表現したのだとか。

この写真では美しい青空が広がり、太陽に照らされる素敵な塔なのですが、私が見た「ベレンの塔」は空一面グレーの雲に覆われ、激しく降り続く雨に濃い霧が立ち込めた中に立つ石造りの塔。

どこか監獄のようにも見えるおどろおどろしい風景でした。(笑)

発見のモニュメント

ベレンの塔からテージョ川に沿って東へ1km ほど進むと、帆船をモチーフにした巨大なモニュメントが海に向かって漕ぎ出すかのように設置されています。

これは1960年に海洋国ポルトガルの創始者である「エンリケ航海王子」の500回忌を記念して建てられたもので、先頭に立っているのがエンリケ王子です。

そしてその後、両サイドには、この時代に活躍した天文学者、宣教師、船員、地理学者などが続いています。

テージョ川に向かって左側の最後尾、立膝をして両手を合わせている男性が、日本で布教活動を行ったイエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエルです。

このモニュメントの内部にはエレベーターが設置されており、高さ52mの屋上に展望台があります。

晴れていれば美しい景色を一望できるのですが、この日はあいにくの雨天で何も見えないだろうと思い、私たちは上りませんでした。

モニュメント前の広場には大理石のモザイクで世界地図が書かれていますが、ここに各国、各地が発見された年号が記されています。

日本は、ポルトガルの船が最後に漂流した1541年に発見されたと記されていました。

大航海時代。

まだ日本という島国が認知されていなかった時代に、こうして遥か遠いポルトガルから未知の島へ船でやって来たポルトガルの人々って、すごいな~と、あらためて歴史の偉大さを感じながら見学してきました。

だって、いろいろな技術が発達した現代だって、ヨーロッパから荷物を船便で送ると2か月とかかかるんですよ!

そう考えるとあの時代に、しかも、何があるかわからない大海原に旅に出るって、、、考えられない。(笑)

【世界遺産】ジェロニモス修道院

発見のモニュメントからこのジェロニモス修道院までは、地図を見た感じ、道路を横切り5分くらいの距離。

普通なら、もちろん問題なく歩いて行ける距離なのですが、この道路には向こう側に渡る横断歩道もなければ歩道橋もない。

マジですか。

となると、800m ほど戻った先のベレン駅前の歩道橋を渡るしかない。

うそでしょ、この観光地にそんな不便なことってあります!?

でもないんだから仕方ない。

わたしたちは朝から市電を途中で降ろされ、徒歩でようやくたどり着いて、悪天のなか必死で写真撮影をしてすでにヘロヘロになっていたこともあり、超不機嫌。(笑)

ブツブツ文句を言いながら、降りしきる雨の中を仕方なくベレンの駅まで戻り、う~んと遠回りをして修道院まで向かいました。

でもね、これは帰国後にフォトブックを作成しようと地図を見直していたときに気付いたのですが、衝撃の事実発覚。

モニュメントの目の前に「地下道入り口」って書いてある~!!!

私たち、疲れすぎていたみたいです、、、(笑)

この修道院は、大航海時代の富をつぎ込んで建築された、マヌエル様式の最高傑作と言われています。

エンリコ航海王子の偉業と、ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路の開拓を称えてマヌエル1世によって着工されました。

10年ほどで大部分は完成したといいますが、その後、マヌエル1世の逝去や様々な理由による建設の中断などもあり、最終的にこの修道院が完成するまでには、なんと300年もの年月がかかったと言います。

もはや想像すらできない世界です。

この修道院はとにかく広大な敷地を有していて、テージョ川沿いにある発見のモニュメントからも、北方向正面にデーンッとその姿を見ることができます。

サンタマリア教会、南門、西門、回廊などから構成されていて、国立考古学博物館や海洋博物館もこの修道院内に併設されています。

そして、、、

この回廊と中庭を見学しているときに、突然カメラがストライキを起こして使用不能になりました。(笑)

なので、これ以降はケータイでの撮影を開始。

ここまでは、フリー素材をお借りしていたのでまるで快晴!かのような写真でしたが、真実はこちら。

みなさん傘をさして、見事などんよりなお天気。(笑)

あ、でも、これは少しだけ明るさを調整してあるので、実際にはもう少し薄暗かったです。。。

この日はね、ずっとこんな感じでした。

ポルトガル銘菓「エッグタルト」は美味!

日本では「エッグタルト」という名前で知られていますが、正式には「Pastel de Nata」と呼ばれるポルトガルを代表する銘菓。

いわゆるカスタード・パイです。

パイ生地のパリパリ感と、とろ~りカスタードのコンビネーションが最高においしい!

ポルトガル国内のどこへ行っても店先にこのお菓子が並んでいますが、このベレン地区にある「Pastel de Nata」が一番おいしいと評判なんだそうです。

老舗の洋菓子店「パスティス・ド・ベレン」

ジェロニモス修道院のすぐ近くにある「パスティス・ド・ベレン」は、創業1837年の老舗で、ジェロニモス修道院から伝えられた配合と作り方を、今も頑なに守り続けているお店だそうです。

この日は激しい雨が降り続けていたこともあり、店内へと行列を作るお客さんと、店先のシェードで単なる雨宿りをする人とでお店の前は大混雑。

お店にはカフェを楽しむスペースと、持ち帰りのコーナーがありましたが、持ち帰り用のオーダーカウンターでも「立ち食い」ができるようになっていたため、多くのお客さんがそこでコーヒー片手に「Pastel de Nata」を頬張っていました。

私たちも本当は、この老舗のカフェで優雅にティータイムといきたいところだったのですが、朝いち市電の通行止めによって強いられた雨の中の長距離ウォーキングの影響で、すっかり予定が狂ってしまい、時間がかなり押してしまっていました。

店内も混雑していて待ち時間もあることを考えると、カフェでゆっくりするのは無理だね、ということになりテイクアウトすることに。

「Pastel de Nata」のほかにも、ショーケースにはたくさんのスイーツが並んでいました。

訪れたのが11月中旬頃だったので、そろそろクリスマスの準備が始まっていて、ポルトガルのクリスマスには欠かせない伝統的なケーキ「ボーロ・レイ」もありました。(2枚目)

写真でしか見たことがなかったのですが、本物のボーロ・レイは想像よりうーんとカラフルでダイナミックなケーキでしたね。

さて、「Pastel de Nata」は焼きたての温かいうちに食べるのがベストです。

ということで、テイクアウトした「Pastel de Nata」を私たちはその後、どうしたかというと、、、

移動のためにお店の近くから乗車した市電の中で、大急ぎで食べきりました!(笑)

幸いにも、他の乗客のみなさんは前方席に固まって座っていたので、後ろのほうでコソコソ~っとね。

ま、でも、ぶっちゃけ誰も私たちのことなんぞ、気にしてません!(笑)

そして、リスボンの旅は続く

しょっぱなからの雨と、市電のアクシデントと、地下通路を知らないで遠回りしたり、カメラが壊れたり、とにかく踏んだり蹴ったりのリスボンはじめの一歩。

でも、まだリスボンの観光は始まったばかり。

次回は「サン・ジョルジェ城」のあるアルファマ地区、そして「BICAのケーブルカー」で有名なバイシャ~バイロ・アルト地区を歩きます。

お楽しみに。

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