英語学習との出会い【3】イギリス留学ついに決定!-50代で振り返る半生

50歳半ばにして何か目標をもって挑戦できることはないかと考えた結果、初心にかえり、もう一度、英語を勉強してみることにしました。そんな私の英語学習に関わる半生を少しずつ振り返って記事にしています。

いよいよ留学に向けて本気モードに突入した私は、5月に留学エージェントに相談に行き、最低限の英語学習をしたうえで1年後に旅立つスケジュールを立てていました。

地元の外語専門学校で週5の午前中クラスを受講するために、早々職場にも退職の意志を伝え、6月末での退職が決定。

ひとつ、ひとつ、着実に進んでいるというワクワク感と、ここから「何かを変えなければ」という緊張感、そしてもうひとつの大きな山への恐怖感。

どうやって親に伝えよう …

それでも私は留学しますから

職場に退職の意志を伝えるのも案外と緊張感がありましたが、親に退職&留学を伝えるのはそれ以上の恐怖感を感じていました。

我が家では「勉強しなさい!」と毎日ガミガミ言われはしませんでしたが、両親ともに優秀な環境下というのは、どこか暗黙のプレッシャーがあるものです。

周囲からも勝手なイメージを抱かれます。

地道な「勉強」が苦手

少し話がそれますが、私が中学へ入学したころ、今では信じられないことですが、毎年4月になると「調査書」といって家族構成や親の最終学歴、職業まですべてを書いて学校に提出していました。

そして氏名、住所、電話番号、親の職業は、生徒名簿に掲載され全員に配布されるのです。

びっくりですよね。

私立の一貫校でしたから地元の公立校のことはわかりませんが、それにしてもすごい時代だったなと思います。

当然ながら、我が家の親の欄には「大学教授」とか「医師」とか載っていたので、全校生徒が私のことを「医者の娘」と認識できる状況ですし、逆に、お友達もどんなご家庭なのか、みんなお互いに知っているという状況です。(笑)

会社員とか、地方公務員とか、弁護士とか、消防士とか、自営業とか、教師とか。

そして保護者会のクラス役員の推薦についても、保護者達はこの名簿を見ながら選んでいたため、なんとなく職業を見て選んでしまうと語る保護者の話をよく耳にしました。

我が家の母親は、毎年あたり前のように役員に選出されていたのをよく覚えています。

世の中のステレオタイプを実感します。

つまり、何が言いたいかというと、、、

話を戻しますが、私は幼少期から「医者の娘だから優秀」的なステレオタイプ(先入観)の洗礼を受け続けて成長しました。

ぜんぜん親のように優秀ではないし、勉強は大嫌いで全然まじめに向き合ってこなかったので、とても残念な成績表でした。(笑)

それでも周囲の人たちから「SETSUKI はやらないだけでしょ?やればできるのに」と言われる。

確かにそうかも知れない。

やればできる、かもしれない。

でも勉強とか努力とか、それも向き合い方(やり方)を知っていること自体が「能力」だと思うんですよね。

正直私は「勉強の仕方がわからない」って感じだったかな~。

だから逃げ回っていたのかも。

今もそれは変わらない。(笑)

ロジカルに思考するタイプではあるので、ものごとのへの理解力はたぶんそれなりに高くて、ゆえに、社会に出てからは職場で仕事を認められる機会が多いのだと思います。

でも地道な「勉強」となると、、、ね。

そんなだったので、なにもかもが中途半端で、優秀な親から見ればもどかしかったのではないかと思います。

自分の能力を考えなさい

私が意を決して、母親にはじめて「留学しようと思っている」ことを告げたときに返ってきた言葉が、表題の、これ、でした。

ちょっと耳を疑うひとこと。(笑)

これが夢と希望を抱いて新しいことに踏み込もうとしている我が子に言う言葉ですか!?って感じなのですが、ま、仕方ないかな。

私があまりにグダグダと我が儘に好き勝手に生きてたから。

いや、真面目に働いて、普通の暮らしはしていましたよ、念のため。(笑)

でも、優秀な親から見れば私の選択はいつも「なんで?」の連続だったんだと思います。

「いままでまったく(英語を)やってこなかったのに、簡単にできるものじゃないんだから!」

私にももちろん色々な思い、ここで語ることはありませんが幼少期からの様々な心理的な影響があり、言い分は沢山あります。

が、大人になったらすべては自分の責任。

そう思うことで、なおさら「自由に生きたい」という思いが増し増しになっていったのかも知れませんね。

「自分の能力を考えなさい」

そう言われたとき、私がなにを感じたのか。

「どーせ優秀なあなたのようにはなれませんよーだ!」

ちょっとばかりやけくそ?(笑)

口に出しては言いませんでしたが、心の中では超爆音でそう叫んでいました。

振り返ってみれば、幼いころから私はずっとこれを叫び続けてきたんです。

そんな自分に気付いたのも、このときでしたね。

その日、そのまま会話は途切れ、承諾もえられず終了。

私は留学エージェントでもらってきた複数の案内リーフレットをドサッとその場に置いて部屋を出ました。

これが私の唯一の「でも、私は留学しますから!」の意思表示。

でもね、翌日こっそりその部屋を覗いてみたら、明らかに読まれていない感じで無造作によけられていました。(笑)

やっぱり9月に出発します!

その日以降、なんとなく母親とは気まずい空気が流れていましたが、あえて留学の話をすることもなく、1か月が過ぎました。

話し合いはあっさり決裂でしたが、私の気持ちは変わっていません。

仕事の退職日もどんどん迫ってきます。

お金と時間の問題

とりあえず午後からのアルバイトを探さねば。

留学を考え始めてからせっせと貯金した分はすべて留学費用にまわしたかったので、退職後はすぐにアルバイトをしないと専門学校の学費が捻出できません。

でも、なかなか自分の思うようなバイトが見つからずに焦っていました。

そしてここへきて、優柔不断な私がジワジワと表舞台へ登場してきます。(笑)

留学前に日本で専門学校にお金を使うより、いっそのことすぐに留学した方がいいんじゃない?

退職を直前に控え、そんなことを考え始めたのです。

まったく英語が話せなかった私は、「少しでも英語を勉強してから留学したほうがいいい」そんな経験者たちの声にこだわっていたのですが、果たして自分の今の状況でそれがベターなのか否か。

今さら、ですよね。(笑)

日本で英語を勉強してから行くのならば、このタイミングで退職するべきではなかった。

仕事を続けながら通える学校を選んで、ある程度の貯金も続ければよかったのです。

でもたぶん、仕事も辞めたかったんですよね。

いろいろ変えたかった。

そして先走ってみたものの、現実が迫ってきて、ちょっと待てよ?みたいな感じでしょうか。

でもこのパターンは、私の人生の基本形。(笑)

ずっとこんな人生を歩んできた気がします。。。

そして出した結論。

すぐに旅立とう!

幸いにも専門学校の申し込みは、アルバイトが決まってからと思っていたのでまだ手続き前。

そして退職の日を迎えた数日後、私は留学エージェントに電話でアポを取り、直近の出発について相談することにしたのです。

9月の出発が決定!両親は …

エージェントを訪ねると、担当してくれている女性がいろいろ準備をして待ってくれていました。

電話の時には担当者不在で私の訪問を伝言しておいたのですが、彼女は開口一番「来年って言ってましたよね!?だから、あれ?と思って」

ですよね。(笑)

優柔不断なんです、私。

そしてできる限り早めに出発したいことを告げ、具体的なコースを選定していただきました。

留学期間はとりあえずそのときの予算内ギリギリのところで半年と決め、場所はイギリスのリゾート地として人気の高い海辺の町、イングランド南部のブライトン。

ケンブリッジやオックスフォード、そしてロンドンも選択肢ではありましたが、海を見るのが大好きなので、最終的にはブライトンに落ち着きました。

出発は現地校の入学のタイミングや日本での準備期間のことも考慮して、3か月後の9月に設定。

そこまで決まったら、あとはもう、まっしぐら。

その場で申込書にサインをして、留学決定!です。

そこは躊躇がない。(笑)

もう申し込みしてしまったので、親に反対されても「行きますから」で突っ走る気満々です。

申し込みをしたその日だったか、別の日だったかは記憶にありませんが、久しぶりに母親に留学について切り出し、この「決定事項」を伝えました。

当然ながら、ものすごーく不機嫌でした。(笑)

でももう反対しても言うことを聞かないということは理解していたようで、このとき返ってきた言葉はこれ。

「お父さんには自分でいいなさいよっ!私は知らないからっ!」

はい、承知!(笑)

かなりお怒りモードではありましたが、とりあえず伝えるべきことは伝えたという達成感。

そしてなんとなく、父親は反対する気がしない。

よし、たぶんこれで一件落着。

とはいえ少々ビビりながら父親の部屋に向かいます。

なんて言われるんだろう…。

「あのさ、イギリスに留学することにした」

恐る恐る、そして、唐突にそう告げると、父親からかえってきたのは …

「英語を勉強するには、イギリスが一番いいんじゃないか?」

ん?

「アメリカは危ないし」

あ、えぇ、その通り。

「やっと話が通じる人間(子ども)が出てきたな」

もう私の頭の中は色とりどりのお花畑が一面に広がりました。(笑)

はい、これで正々堂々、イギリスへ旅立てます!

次回へつづく

このとき、ちょうど留学を考え始めてから1年ほどが過ぎていました。

飽きっぽい割には、この留学への想いはかなりの熱量で継続していたと、今でもあの頃のことを懐かしく思い出します。

英語には全く興味がなく20代も半ばを過ぎていた私が、まさか、留学することになるなんて。

それも必要に迫られたわけでもなく、自分の「やりたい!」という意思を持って海を渡ります。

留学することが現実になったら、今度は「目標設定」に頭を悩ませる時間が増えていきました。

退職してから出発するまでに3か月ありましたが、実家暮らしで生活費も心配はなく、留学費用が目減りしていく不安もないありがたい環境。

物理的な手続きや渡英準備にもバタバタしつつも、考えを巡らす時間はたっぷりありました。

これからの自分が何を目指したいのか、留学で何を経験し、何を得たいのか、、、

このとき、27歳。

まだまだ海の向こうに無限の夢を描いていた日々が愛おしいです。

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