

学生時代はテスト勉強以外に英語を勉強することがなかった私が、最初に英語を学ぶきっかけになったのは「ドイツへの憧れ」でした。
いつか数か月でいいからドイツで暮らしてみたいと夢見ていたのが20代半ばのこと。
社会人となって日々の生活にストレスを感じていたり、なんの目標もなく時間が過ぎていくことに焦りを感じていたりしたときだったので、現実逃避するかのごとくその想いがどんどん膨らんでいき、真面目に海外留学を考え始めたのです。
とりあえずドイツ語に手を付けてみる

ドイツ語なんてまったく勉強していなかったし、さぁ、これからどうやって計画を実行するべきか。
とりあえずはドイツ語のラジオ講座を始めてみたり、ドイツ留学についての資料を片っ端から集めてみたりしました。
実は幼い頃に、医学博士で英語・ドイツ語・フランス語に堪能だった父親から、少しだけドイツ語のイロハを教えてもらったことがありましたので、アー・べー・ツェー・デー・エー・エフ・ゲー・・・という超基本くらいは知っていましたが、所詮は子ども時代のお遊びの記憶。
因みに兄はフランス語を教えてもらっていましたが、こちらも記憶の遠い遠い彼方に消えていったようです。(笑)
英語もろくにできない私にドイツ語は難し過ぎました。
しかも、ひとりでの学習が続くわけもなく。
でも、この「英語もろくできないのに」という自分が吐き捨てた言い訳に、ハタと気づきました。
そっか、まずは英語だわ。
外国語の学習環境には恵まれていた

環境には影響されなかった子ども時代
先ほどお話したように、私の父親は医学博士で大学病院の医師でした。
私が小学校に入学するくらいの時にはすでに教授職に就いていて、学術論文や文献を読み書きするのに必要だったのか、英語、ドイツ語、フランス語に長けていました。
彼の書斎の机にはそれぞれの言語で書かれた論文や書籍、辞書などが置かれていましたが、幼い私には何語で書かれているのかも理解できず、多言語を理解している父親のすごさもよく分からず。(笑)
加えて母親も、この世代ではまだ珍しかった4年制女子大学の英文科を卒業しています。
ネイティブ講師はイギリス人の神父様だったとか。
神父様がイギリスへ帰国して以降も、学友たちと共にずっと交流が続いていたようです。
こんな両親のもと、我が家には幼いころから何十万もする「ブリタニカ」の英語教材がデーンと置かれていました。
今で言うところの「ディズニー英語教材セット」みたいなものでしょうか。
知る人ぞ知る「モクモク村のけんちゃん」の紙芝居や、何十冊もの絵本やカセットテープなどが、専用の棚にぎっしり収められた完全版。
でもね、興味がなかったんです。
ときどき遊び半分でお友だちとの紙芝居ごっこに使っていたことはありましたが、せっかく立派な教材があっても全く英語に振り向かず。
親も、あまり熱心に「英語を勉強しなさい」という雰囲気を出してはいなかったと感じています。
もちろん、興味をもってくれたら嬉しいとは思っていたのでしょうけれど、押し付けられることはなかったですね。
主体性を育むのは「ワクワク」との出会い
おかげさまで、自由にノビノビと遊び過ぎて、英語、苦手になりました。(笑)
両親ともに語学に堪能で、立派な教材も生まれたときから用意されていて、毎年のように学会で海外に出かける父親から「スイス行くぞ」「スペインついてくるか?」と海外への誘いのある環境。
あ、もちろん、海外にもこの時にはまったく興味なし!
人ってね、環境に左右されるって言いますけど、その環境に置かれるだけではダメなんです。
その環境の中で本人が自ら「興味・関心を持つような働きかけ」があってこそ。
もちろん「勉強しなさい!」というダイレクトな働きかけでは意味がなくて、いかに、その先にワクワクが待っているかを「想像」させるアプローチが大切。
特に子どもにはね。
じつは、私は幼稚園教諭免許と保育士資格を持っています。
40代半ばから10年近く保育園の園長も務めました。
なぜ、こんなに「外国語学習」に対して恵まれた環境にいた自分がそれを生かせなかったんだろう、という自身への疑問。
その答えは幼児教育や保育を学ぶ過程において、自己解決。
乳幼児心理学、発達心理学、児童心理学、青年心理学、教育心理学、幼児教育や保育を学ぶうえでは欠かせないこれらの心理学と向き合ってみると、なるほどね、、、と。
自身の経験は、自分が保育現場で子どもたちと向き合う上でも大変役に立ちました。(笑)
余談が長くなりましたが、そんな感じで「環境は整っていた」にもかかわらず、幼少期から英語への関心は皆無。
中学、高校と、どんどん難しくなっていく英語への苦手意識は高まるばかりで、大学時代は苦手を通り越して「大嫌い!」が完成。(笑)
夢が叶った瞬間、芽生えた新たな想い

そもそも私は大のヨーロッパ好き。
多くの国が絡む歴史上の物語や、ヨーロッパの美しい景色に魅了されていました。
「死ぬまでに一度はドイツに行ってみたい!」
そう思っていたとき、ふと目にしたのが旅行会社のヨーロッパツアー。
ヨーロッパ旅行のゴールデンルートとも言える「ドイツ・スイス・フランス」の3か国を巡るパッケージツアーでした。
そのツアーにひとり参加することにしたのが、24歳のときだったと思います。
それまでの海外経験は、、、
18歳でロンドン・パリのツアーに一人参加、20歳の時に社員旅行でハワイ、この2回だけでした。
この過去2回の旅行はともに「企画もの」であったので、海外に対する熱い想いは特に芽生えることもなく、ただ単にきっかけがあったから旅をしただけのこと。
目的が違いました。
でも、3回目のヨーロッパツアーに参加したことで、私のその後の人生が変わった気がします。
とはいえ英語への関心はまだ皆無です。(笑)
とにかく「憧れのドイツ」へ行きたい一心でした。
このときの旅の思い出はまた別の機会に語るとして、とにかく「憧れのドイツ」は私を裏切らなかった!
大感動して帰国した私は、どんどんドイツへの想いを募らせていくばかり。
日々の仕事にもストレスを抱え、いつも「なにか」に息詰まる思いでモヤモヤしていた中で、必然的に現実逃避が始まりました。
ドイツで暮らしてみたい!
2か月でも3か月でもいいから、とにかくドイツに行きたい!
それが私の「英語」との向き合い方に変化をもたらす出会いだったのでした。
次回へつづく
そして、冒頭にお話ししたように、本気でドイツへの留学を考え始めたわけですが、英語もろくにできない私にドイツ語はほんとうにハードルが高かった。
英語とドイツ語は似ている部分もあると聞いていたので、ちょっと舐めていました・・・。
いや、冷静に考えれば「英語ができる」人にとっては第2外国語として学びやすいのかも知れませんが、あなた、英語もわからんでしょ?(笑)
手も足も出ないのは当たり前なんですよね。
そして気づく。
仕事を辞めて2か月や3か月ドイツに行ったって、当然ものにならないし、その先の仕事どうするの?と。
ちなみに、私は先ほど幼稚園教諭免許と保育士資格を持っていて、保育園の園長も務めたとお話しましたが、ずっと幼児教育・保育の世界に身を置いていたわけではありません。
また追々お話しすることになると思いますが、大学で資格を取得して以降40歳を過ぎる頃まで、ずっと幼児教育・保育の現場とは離れてお仕事をしていました。
当時は医療事務の仕事をしていたのですが、さて仕事を辞めてドイツへ行きました → 楽しかったです! → ドイツ語は分かりません! → 何するの? ですよね。
「思い立ったら即実行!」の私でも、さすがにその辺りは冷静に理解ができるところでして。(笑)
ドイツ語を仕事で使用できるようなレベルになるには、恐らく1年、2年は留学しないと私には無理。
なによりも、長い先々のことを考えたとき、仮にドイツ語をマスターしたとて、日本でドイツ語を使った仕事を見つけるのはキビシイです。
しかも今のようなグローバル化が進む前、バブルがはじけて日本が急降下を始めた真っ最中、かれこれ30年も前のことですから。
そして出した結論。
まずは英語!