【雪組公演】ボー・ブランメル~美しすぎた男~│ロード・アルヴァンリー 友情に生きたダンディズム

次回の雪組公演『ボー・ブランメル~美しすぎた男~』をより楽しむために、公演に先駆け何回かのシリーズでお届けしようと思っている「公演の予備知識」シリーズ。

前回はブランメルの人生を史実を軸にご紹介しましたが、宝塚版のあらすじを読むかぎりでは設定が異なる部分も多々ありそうですね。

生田先生の脚本なのであまり心配はしていませんが、どこまで史実に基づくブランメルの姿が描かれるのかは、やはり気になるところ。

ボー・ブランメルの名は、イギリスの社交界を象徴するダンディズムの代名詞として知られていますが、
その人生は後半、大きな孤独と困窮に彩られていました。

かつては王太子ジョージ4世の寵愛を受け、社交界の審美眼として君臨していた彼も、王族との決裂や浪費による借金、国外への逃亡、精神の崩壊といった破滅の道をたどります。

その転落のなかで、唯一「最後までブランメルを見捨てなかった男」がいました。

それが、今回ご紹介する「ロード・アルヴァンリー(Lord Alvanley)」です。

貴族の子として生まれる

ロード・アルヴァンリー(本名:ウィリアム・アーマンド・スペンサー・チャーチル卿│William Arden, 2nd Baron Alvanley)は、1789年、イギリス貴族の家に生を受けました。

父は第1代アルヴァンリー男爵リチャード・ペパード・アーデンで、法曹界・政治界の要職を歴任した人物として知ら、とても裕福な家庭でした。

幼少期から恵まれた教育と社交の機会に囲まれて育ったアルヴァンリーは、ブランメルと同じくイギリスの名門イートン校で学び、のちに軍隊へと進みます。

軍人としてのキャリアは短かったものの、規律と品位、そして上流階級としての立ち居振る舞いを学んだことは、後の彼の “社交界のダンディ” としての名声に直結しました。

社交界の華、もう一人のダンディ

若き日のアルヴァンリーは、ロンドンの上流社交界において、ひときわ目立つ存在でした。

彼のセンス、教養、ユーモア、礼儀正しさは人々を惹きつけ、ウィットに富んだ会話と抜群のファッションセンスで「上品な遊び人」として知られるようになります。

彼が愛した場所のひとつに、「ワトリエズ・クラブ(Watier’s Club)」という高級紳士クラブがあります。

このクラブは当時の「若きダンディ」たちの社交拠点であり、ファッション、食事、談笑が交差する場だったわけですが、このクラブの中心人物が、他ならぬボー・ブランメルとロード・アルヴァンリーだったのです。

ブランメルとの出会いと「同志」としての友情

ボー・ブランメルとの出会いは、まさに運命的でした。

アルヴァンリーとブランメルには、服装への異常とも言えるこだわりや美意識の高さ、上流階級にありがちな高慢さを嫌う気質、そして「スタイルこそが人格を表す」という信念など、多くの共通点がありました。

引き寄せられるかのように2人は互いを尊敬し合い、やがて「ロンドン社交界の双璧」として並び称されるようになります。

ブランメルが無口で冷静な「禁欲の美学」を体現したのに対し、アルヴァンリーは温かみとユーモアで人々を魅了する「陽のダンディ」として、その存在は絶妙なバランスを保っていました。

ただの交遊ではない、「様式の哲学」を共有する関係。

2人の間には、形式を超えた共鳴が確かに存在していたのです。

ブランメル没落後の支援と「見捨てなかった男」

1816年、ボー・ブランメルは多額の借金を抱え、ロンドンからフランス・カレーへと逃亡します。

王太子ジョージとの関係も断絶し、社交界は彼を容赦なく切り捨てました。

そんな中で、最後までブランメルを支え続けた唯一とも言える人物が、ロード・アルヴァンリーでした。

彼はイギリスから逃げるようにフランスへと渡ったブランメルに対し、定期的に資金を送金し、衣食住を援助し続けたといいます。

しかもそれは、単なる慈善ではありませんでした。

「ブランメルが貫いてきた生き方を、私が否定するわけにはいかない」

そんな静かな決意と、美への共感が彼を突き動かしていたのです。

興味深いのは、当のアルヴァンリー自身もまた、時代が進むにつれて経済的に困窮していったことです。

若い頃は潤沢な財産を持っていた彼も、放蕩と贅沢によって徐々に資金繰りが苦しくなり、最終的には同じく借金に苦しむことになります。

それでも彼は、ブランメルへの支援を止めませんでした。

自身が苦しくとも、決して友を見捨てなかった男。

没落と静かな引退、そして友情の記憶

アルヴァンリーは1830年代以降、社交界から距離を置くようになります。

かつて浮世を鳴らしたダンディは、次第にロンドンの話題から遠ざかり、静かな晩年を過ごしたといいます。

実は、アルヴァンリーがどのような最期を迎えたのか、その様子は詳しく残されていません。

しかしながら、晩年の彼を知る人々は「誇り高く、寡黙な優しさをたたえた紳士であった」と語っています。

1840年にボー・ブランメルはフランス・カーンの病院で誰にも看取られることなく静かに息を引き取りましたが、フランめるの死後も、アルヴァンリーはその友情を誇りとして語っていたとされます。

「彼は、美を生きた男だった。そして私は、それを知っている数少ない一人だ」

ほんとうに彼がそんな言葉を残していたのかは、わかりません。

でも、そんな言葉が聞こえてくるような、誠実で、ひそやかな友情の記録が、アルヴァンリーの人生には刻まれていたように思います。

もうひとつのダンディズム

ボー・ブランメルは、孤独のうちにこの世を去りました。

けれども、彼の生き方そのものを理解し、受け止め、支え、本当の意味で最期を見送った人物がいたことを忘れてはなりません。

その男、ロード・アルヴァンリー。

アルヴァンリーの人生は、華やかで軽やかに見えて、その奥には確かな「友情」という様式美が息づいていたのだと感じます。

形式や礼儀の奥にある、気高さと誠実さ。

彼はそれを、大切な友、ブランメルという鏡を通じて体現し続けたのではないでしょうか。

しかしながら、アルヴァンリーの名前はあまり広く知られてはいません。

けれども、ブランメルという伝説の陰に、もう一人のダンディがいたこと。

そして、その男が、最も美しい友情を最後まで生き抜いたこと。

その事実は、やはりもう一つのダンディズム。

まとめ

宝塚版のあらすじにも登場していませんが、ブランメルの人生には決して欠くことのできない重要な人物。

続報が出れば、主要キャストとして破線上にきてもおかしくない人物ではないかと予想しています。

できれば、このブランメルとアルヴァンリーを朝美絢×瀬央ゆりあで見てみたい!

ブランメルが無口で冷静な「禁欲の美学」を体現したのに対し、アルヴァンリーは温かみとユーモアで人々を魅了する「陽のダンディ」として、その存在は絶妙なバランスを保っていたとのこと。

あーさ(朝美絢)となおちゃん(瀬央ゆりあ)のキャラクターにもうまく嵌りそうですよね。

生田先生の脚本に期待!

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