

日本の専門学校で英語の基礎力を付けてから、1年後に出発しようと考えていた私のイギリス留学計画でしたが、いつもの「思い付き」により、出発を早めることに。
6月末で仕事を退職し、7月中旬には留学エージェントに申し込みを完了し、イギリスへの出発は9月中旬で確定。
準備期間は2か月ありましたが、なにせ元は1年後に出発するつもりだったので、物理的にも心理的にも準備にバタバタしたことは否めません。
でも、もちろんワクワクが止まらない自分もいて、もしかしたら、あの時期がいちばん「夢見ていた時間」だったのかも知れません。
あのときの自分に教えてあげたい。
あなたのその後の人生、そんなに甘くはありませんから。
すべては自業自得でございます。(笑)
留学のその先に・・・
留学することが決まり、親にもとりあえずは許可を得て、あとは前を向いて進むのみ。
不思議と不安はありませんでした。
英語が話せない=言葉が通じないとか、家族や友人どころか「知っている人」が誰一人いない遠い国で暮らすとか、その環境に置かれた自分の姿を漠然と想像することはありましたが、それが不安につながることは一切なかったですね。
極度の心配性ではあるので、ありとあらゆる場面において先回りして心配事が増えていくことはありましたが。
最初にお話したあれ、ですね。
「石橋を叩いて、叩いて、叩きすぎて自ら割る!」
そんなに叩かなければ問題なく渡れる橋も、私の手にかかると自ら必要以上に叩きすぎて自分を危険に晒すという、、、ね。(笑)
私がイギリスへ留学していた期間は結果的に2年近くになりますが、このときの最初の計画は6か月。
自分の貯金をはたいてイギリスでの留学生活を無理なく送ることができる期間と考えると、6か月がギリギリかなと。
当時の為替レートでいうと、イギリスポンドは180、190~200円台を行ったり来たりだったと思います。
もともとイギリスへの留学は他の英語圏への留学よりもお金がかかると言われており、もしも他の国を選択していたら、9か月くらいは留学できたかも知れません。
いずれにしても当初の予定はイギリスへの半年間の語学留学。
半年後には日本に帰ってくる予定でした。
半年なんてあっという間です。
帰国後に日本で何をしたいのか、何ができるのか、何を目指すのか、を念頭においた留学生活を送らなければ!と強く感じていました。
とはいえ、「ドイツで暮らしてみたい」という単なるヨーロッパへの憧れから始まったこの留学計画ですから、「英語で〇〇したい」という目標があったわけではありません。
ドイツ語よりはまず、英語を勉強しなければ 、、、それだけで始まったイギリスへの道です。(笑)
それでも20代半ばの私には、「いまから目指せば手に入れられる将来が必ずあるはず」という思いが溢れていて、いろいろな角度から自分を見つめなおす時間でもありました。
子どもに英語を教える仕事がしたい
これから始まる新しい生活や、広がる世界に夢見る気持ちの裏側で、当時の私は「どーせ夢は叶わない」という思いも同時に抱えていました。
10代の頃から描いていた自分の夢に対して、努力もしないままに「夢を放棄」してきたという、いわば自責の念に囚われていたと言ったほうが良いかも知れません。
よく「夢を諦めてしまった」という表現を聞きますが、私にとってのそれは、それに向けた本気の努力をしないままに諦めた「夢の放棄」でしかなくて。
それでいて、いや、それだからこそ、かつて描いた夢への未練がそれはそれは大きく呪縛になっていたのです。
もう、やりたいことがない。
そんな思いを抱えていたころに、この留学という転機を迎えたのです。
ようやく自らの意志で「留学したい!」という思いを抱き、何を目指したら良いのかわからないけど、とりあえず行動には移したぞ、と。
そして留学の準備をする日々の中で、少しずつではありますが自分の中で意識改革が起こりつつありました。
過ぎた過去の時間を取り戻すことはできません。
放棄した夢をもう取り戻すことができないのであれば、今の自分にできることを積み重ねて何かを目指していくしかないんじゃないの?
当たり前のこととはいえ、当時の私には大きな意識改革です。
そして導き出したのが「子どもに英語を教える仕事がしたい」という答えでした。
子どもの時から子どもが大好きだった私。(笑)
いつも私の周りには近所の小さなお友達が集まってきていました。
大学の進路を選択する際も様々な選択肢がありましたが、消去法でなんとなく幼児教育科に進んだのもそういった幼少期からの自分の特性があったからです。
新卒当時は、少しだけ保育所のアルバイトをした以外に幼児教育や保育の現場で仕事をすることはありませんでしたが、当時も仕事がら子どもに関わることは多かったので、「子どもが大好き!」という思いが変わっていないことは自身で認識していました。
ここに英語をプラスしてできること、それを考えたときに「子ども英語の先生」に辿り着きました。
ま、単純と言えば単純な話です。(笑)
そしてもちろん、幼稚園教諭免許も保育士資格も持っていますから、将来的に子どもに英語を教える仕事をするときにも役に立つのではないかと。
まだ当時は今のように子どもに対する英語教育が当たり前の時代ではなく、一部の熱心なご家庭が英語教室に通わせてるというイメージでしたが、世の中は確実にグローバル社会化に向け加速し始めていましたから、伸びしろが大きかった分野といえます。
そして、そんな目標をうっすらと頭に描き始めたとき、もうひとつの大きな予期せぬ出来事が私の人生に影響を及ぼします。
2005年に愛知県で万博の開催が決定!
そう、愛知万博の開催が決定したのです。
決定のニュースは6月だったか、7月だったか、それくらいの時期だったと思います。
それまでにも万博誘致に至るまで、様々なニュースが取り上げられていましたが、正直、あまり関心を持っていませんでした。
が、自分が留学を決めて「英語」という国際言語を学ぶことになった途端、急に私のハートの中に「万博」という選択肢がストンと飛び込んできたのです。
相変わらず単純です。(笑)
私、万博で働く!
この当時にして 8年後 です、愛知万博開催は。
でもせっかく国際的な大イベントが開催されるなら、英語を使ってそこで働いてみたい。
1970年の大阪万博以来35年振りに開催される万博ということで、当時の私にとって「万博」というのは未知の領域。
どんなイベントが繰り広げられるのか、どんな仕事があるのか、とにかく何もわかりませんでしたが、この時の私は「万博で働く」ということを、長期的な目標に置くことに決めました。
今となっては、この万博へのこだわりが良かったのか、悪かったのか 、、、(苦笑)
またいずれ、お話する機会もあるでしょう。
渡英直前に飛び込んできた驚きのニュース
少し余談になりますが、私がイギリスへの留学準備を着々と進め、出発まで1か月を切ったころのこと。
テレビを見ていたら、ニュース速報で衝撃的な内容が伝えられました。
ダイアナ妃の事故です。
何かの番組を見ていた時に流れた「パリの高速道路で自動車事故発生、ダイアナ元英国皇太子妃が意識不明の重体」というニュース。
すでにチャールズ皇太子と離婚していたダイアナ妃ですが、その行動は常に注目されていて、パパラッチの標的になっていました。
イギリス国内でも大変な人気があったダイアナさんですから、事故で重体という第一報が入って以降、時間を追うごとにイギリス国内に絶望感が広がっていく様子は、日本のニュースでも大きく報じられていたのを覚えています。
ロンドンのバッキンガム宮殿やスペンサー家(ダイアナさんの実家)の門前には、信じられない数の花が供えられ、その映像は今も鮮明に思い出されます。
本当に物凄いお花の山でしたよね。
毎日のようにニュースに映し出される、悲しみに暮れるイギリスの人々の姿。
ダイアナさんの人気の高さを改めて実感しつつ、英国は王室と共に歩んできたんだな~ということを感じました。
渡英を前に、イギリスが大変なことになってしまったなぁ … と思ったこともまた事実。
約1か月後には、私はテレビで見ているあの場所にいる、そう思うとなんだかとても不思議な気持ちになりました。
そして、このとき連日伝えられたニュースの中で、悲しみの中から学んだ英語があります。
Leave me alone …
和訳すると「放っておいて … 」とか「ひとりにして … 」という意味です。
ダイアナさんが事故後に、意識が遠のいていく中で呟いたとされる最後のことば。
この言葉がニュースを通して伝えられた時、英語の正しい意味が分からなかった私は、たぶんコメンテーターの解説で理解したのだと思います。
それを聞いて、どれだけの苦しみを抱えていたのだろうと、本当に切なくなりました。
そして私の頭の中にくっきりとインプットされた3語。
Leave me alone …
悲しい出来事でしたが、こうして覚えたこの言葉は、のちにイギリスで生活が始まったとき、孫を叱っていたおばあちゃんが発した「Leave door alone」という言葉とリンクして、英語学習の助けになったことも。
「Leave door alone」この和訳、わかりますか?
「ドアから離れなさい」「ドアに触らないで」とう意味です。
「leave ~ alone」は色々なことに応用できるコロケーション(よく一緒に使われる語の組み合わせ)。
このように日常のなかで出会う英語表現は、「勉強」するよりも覚えやすいものですよね。
イギリスで留学生活を送る中で、あえて英語で「生活する」ことの意味を何度も実感することになります。
次回へつづく
いよいよ、イギリスへ旅立ちの時。
楽しいことばかりではなかったし、実際、帰国する日を指折り数える日々が続いたときもありました。
次回からは、そんな私の留学生活を少しばかり思い起こしながら、様々なエピソードをご紹介できればと思います。